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中国製冷凍ギョーザ中毒事件

このところマスコミは中国製の冷凍ギョーザに関する報道一色という観があります。昨年来わが国でも「食の安全・安心」が関心事となっていただけに、今年も安心して食事ができないのか、という大きなショックを国民に与えていると思います。原因がどこにあるのか、意図的に引き起こされた事件なのか等、詳細は捜査の進展を待たなければならないと思いますが、私はもう少し俯瞰的な視点でこの問題を見なければならないと思っています。

まず「中国のものは危ないから輸入するな」という一部の議論は、やや性急に結論を求めすぎているのではないかと思います。自由貿易がもたらす利益を最も享受しているわが国の立場として、「政府が主体となって」中国産品を拒絶するという選択はあり得ないでしょう。また中国からの輸入品が、日本を含めたその他諸国の産品より安全性が低いということであれば、その水準を引き上げる努力をした方がずっとお互いの利益になるからです。そして、その努力はこれまでも行われてきており、結果として安い加工食品を多くの消費者が手にすることができているわけです。いたずらに、両国の摩擦をあおることは、総体としてわが国の経済的利益を損なうことになると考えます。
しかしながら、「消費者が主体となって」安全でない商品を買わない、輸入しないという選択肢は当然ありうるでしょう。今回の事件でも、多くのスーパーが安全性に確信の持てない中国製食品について、販売を中止したのは記憶に新しいところあり、その力が中国企業の経営品質の向上を後押しする力になるでしょうし、逆に「安全でおいしい」日本の食を再評価するきっかけにもなるかもしれません。

とりわけ食品について言えば、国産のものを使うのが安心と言いたいところですが、昨年来国内でも頻発した食品偽装事件の数々を思い起こすと、簡単にそうも言いきれないところが誠に残念なことです。私たちの身の回りに本当の安心はないのだということに気づかされるわけです。
かといって、自分で畑を耕し、家畜を飼うなどということは非現実的なわけで、古来人間がそうしてきたように、分業し、それぞれの信頼のもとに物とお金を交換し、生活に必要な物資を調達するという営みは変えようがありません。

現代に生きる人間の多くは、毎日他人が作ったエネルギーを使い、食べ物を食べ、仕事を通じて他人に何かを提供しています。意識しているか否かを問わず、他者との関わりなくして生きることはできません。その社会の信頼を支えるものは、最後は「人」であり、他者を信頼できない社会では個人の不安が増大し、国家への信頼も低下してしまうでしょう。

そう考えると、冷凍ギョーザ事件が私たちに突きつけているものは、ことのほか大きいものだと感じざるを得ません。食品会社だけの問題でもなく、輸入会社だけの問題でもなく、消費者だけの問題でもありません。国家や行政だけの話でもないでしょう。

年明けから暗い話題が続く昨今ですが、一つ一つ目の前の課題を片付けるだけでなく、社会の閉塞感を打ち破るような改革のエネルギーが求められているような気がします。福田総理にその気概がまったく感じられないのは残念というほかなく、今こそ民主党がもっとしっかりしなくてはいけない!と強く思っています。