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お誕生日おめでとう!

昨日は関西国際空港の満19歳の誕生日でした。
開港までの反対運動、開港後の厳しい経営状況など生みの苦しみ、また生まれた後も重い病を患い辛い人生であったのではと思います。

あまり知られていませんが、空港は国が整備するのが当たり前であったものを、関空は中曽根民活の掛け声のもと民間の力で建設することとなりました。
結果として関空は1兆円を超える多額の有利子負債(借金)を抱えての経営となった訳です。毎年利払いだけでも200億円という重い負担を強いられることとなりました。

おまけに、騒音問題もあり伊丹空港周辺自治体は伊丹空港の廃港を叫んでいたため廃港が前提であったにも関わらず、伊丹空港の存続が決まってしまった結果、伊丹空港は国内線、関空は国際線というような日本特有の訳の分からない理屈での際内分離の経営を余儀なくされました。
伊丹空港はドル箱路線の羽田線をほぼ独占する形で利益を上げ、そのしわ寄せが関空にもろに来てしまいました。関空の経営が厳しくなるのは火を見るより明らかでした。

日本の空の今後を考えたときに、人口減少、多額の財政赤字を抱える日本国内の航空需要だけで世界の、とりわけアジアの空港との国際競争に勝てるはずはありません。世界的に見ても、どの空港も航空ネットワークを充実させ、ハブ空港としての機能を持たせ、近隣国の航空需要を取り込むことによって競争力を高めようとしています。

にもかかわらず関空についてはこのような状態が長年放置されて来た訳です。
おまけに航空行政について、とりわけ関空のことについて詳しく理解している学者も少なく、新聞などの論説委員も含め「無駄な公共事業」と勇ましく切り捨て、あたかも正論であるかのような発言を繰り返していました。ましてや、今後日本の航空行政をどのようにすると活性化でき、また競争力を高められ、経済成長に繋げられるかといったアイデアが示されることもありませんでした。

そんな中私は、このような航空行政を続けていれば、日本の空港は閑古鳥が鳴き、ひいては航空会社も潰れてしまい、日本経済に大きな打撃を与えてしまうという危機感が日増しに強くなっていきました。
こういった危機感が私が政治家を志すきっかけの一つとなったことは言うまでもありません。

2003年の総選挙で初当選して以来、日本の発展(当然地元の発展も含まれますが、)のために心血を注いで来ました。
野党で始まった政治家人生でしたが、この9年間、一心不乱にこの関空の問題にも取り組んできました。
ようやく最近では関空の利用客も増加など明るいニュースが増えてきました。
9年という長い時間を要しましたが、大きな結果を残せたと自負しています。
9年間のさまざまな場面で私がどのように取り組んだかについては後日またこの長安通信で書きたいと思います。

来年は関空の成人式です。一人前の大人として世界に羽ばたくことを心から願っています。