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2017年12月28日

2017年を振り返る

1月20日に始まった今年の通常国会は森友学園、加計学園の問題で持ちきりであった。
安倍総理や総理夫人の関与がいくら明らかになっても、「自らは関与していない。」という木で鼻をくくったかのような答弁を繰り返し、全く説明責任を果たさずそそくさと国会を閉じてしまった。
総理のこういった傲慢な姿勢に国民は不信感を抱き、結果東京都議選で自民党は惨敗することとなり、小池知事率いる都民ファーストの会が大躍進することとなった。
これを受け小池新党への期待は膨らみ、希望の党が結党することとなる。

一方、野党第一党の民進党は蓮舫氏が代表となったものの支持率は低迷を続け、8月27日に辞任し、その後前原氏が代表となった。
9月に入り現状に危機感をもった前原代表が希望の党との合流を表明し、「全員が合流する。」との説明をもって両院議員総会で了承される。しかし、結果は多くが排除されることとなった。今考えてみても民間企業ではありえないような手続きであった。
これに反発をしたグループが立憲民主党を立ち上げ、結局野党が分裂した形での選挙となり自民党が大勝することとなった。

こういった経過の中、私は党としての決定に従い希望の党での出馬を決め、いち早く事務所を開設し、10月9日の事務所開きに向けて準備をすることとなった。しかし、私にとっては青天の霹靂であったが、9月30日に突如希望・維新の連携が発表され大阪での候補者擁立は行なわないこととなった。
翌10月1日、支持者の皆さまからは、無所属でも出馬すべきとの声もあったが、私が持論とする二大政党政治を実現するためには希望の党がその一翼を担わなければならない、そのためには私が捨て石となることもやむを得ないという断腸の思いで、これまでお世話になった大阪19区での出馬の断念を決意した。
しかし、その夜希望の党幹部から連絡があり、「これまでの経験・実績を生かし希望の党で活躍してもらうため、新たな選挙区を用意するので、明朝までに返事がほしい。」との提案があった。

正直、次の総選挙まで待つのか、選挙区を変えるのかについても難しい判断であった。しかし、ここは能動的に行動する、つまり選挙区を変えると決断し姫路での出馬となった。残念ながら、希望の党への期待は上記の前原氏の二転三転する説明や小池知事の排除発言による支持率急落の影響を受け、短期間ではあったが37,783票と多くの得票を得るも惨敗することとなった。

選挙後小池知事が代表を辞任し、新たに玉木氏が代表となったが、秋の特別国会では敗戦処理に追われ、マスコミの世論調査でも見るも無残な支持率となっており、二大政党どころか党の存続すらも危ぶまれる事態となっている。

選挙後地元泉州に戻り多くの方々から心温まる激励のお言葉を頂いている。
また、政界も様々な動きもあり、今後更に激しい動きも予想される。
そのような状況下、今後の私の身の振り方については、皆様の声に耳を傾け、自らを見つめ直し、何ができるのか、何をなすべきかをさらに熟慮したいと思う。